昔のコックの食事は、そりゃあひどいもんでした
 あたしの家は、もともとは三田で薬屋をやってまして、あたしも大きくなったら上野の薬専に入って、と思っておりました。 ところがその家業が没落してしまい、別の仕事を探さなくてはならなくなり、コックになりましたのは、あたしがやせてたもんですから、叔父に、
「食いもの屋に奉公すれば、余り物を食べさせてもらえるから太るだろう」
なんて言われたからで、しかも洋食屋に奉公しましたのは、姉の旦那に、
「日本料理は箸を使う。箸は一回使うとあとは捨てなきゃならない。ナイフ、フォークなら洗って何度でも使える。それだけでも洋食屋の方が得だ」
こう言われたからでした。おかしな話だけれど、考えてみれば、そうかもしれないと思ったもんです。
 それで洋食屋に奉公したわけですが、なってみて、聞くと実際との違いのはなはだしいのには、びっくりしました。五十年も前のことですから、朝はみそ汁と、前の晩の冷えたご飯なんです。あったかいご飯だとよけいに食べるからってんで、蒸し器なんぞはありません。昼はおかず一品、晩はお新香だけで、料理の余りものなぞ夢みたいな話でした。
 あるとき、トロロがおかずに出たことがあって、喜んだ店員がご飯を六杯もおかわりしちまって、それ以後、トロロは出なくなりました。
 おかず台は一日一銭と決められていて、コックが交代で作るんですが、ある時、あたしが作る番になったとき、
「今日はカツレツだぞ」と言ったら、女給さんが喜んで、
「珍しいわね」なんて言いながら、いそいそと料理場へやってきました。皿の上には生揚げの焼いたのがあるだけ。
「違うじゃないの」と口をとんがらせたんで。
「三銭カツレツだい」って言ってやりました。
あたしとしては、景気づけのつもりだったんです。
 今じゃ、おかずもぐっとよくなりました。でも時間がずれてて、朝食は開店前、昼は忙しいんで三時過ぎ、晩は閉店後になります。新人なぞ、三度のめしの感覚がくるうのは当然のことで、おなかもすくんでしょう。よく、ご飯をスープ皿に盛って食べてます。飯皿だと大盛りに見えるけど、スープ皿ならそうは見えないだろう、というつもりなんでしょう。